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札幌高等裁判所 昭和45年(行ス)3号 決定

抗告人(被申立人) 札幌入国管理事務所主任審査官

相手方(申立人) 金熙鎮

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告人は「原決定を取り消す。相手方の本件執行停止の申立を却下する。申立費用は第一、二審とも相手方の負担とする。」との裁判を求めた。その抗告理由は、別紙「抗告の理由」および「意見の理由」(原決定に添付されている意見書中の「意見の理由」と同一内容であるから、これを引用する)記載のとおりである。

二  よつて検討するのに、まず一件記録殊に疏甲第一号証の二、三、同第二号証の一、同第三号証、同第五号証、疏乙第四号証、同第一一号証、同第一三、第一四号証、同第一八ないし第二一号証によると、次の事実が疏明される。すなわち、

1  相手方は、昭和一三年四月二〇日韓国慶尚北道聞慶郡虎渓面牛老里一〇三番地において父金在云、母金永説の長男として出生し、高等学校卒業後の昭和三一年六月一日、勉学の目的をもつて、正式な入国の手続を経ずに本邦に入国し、近畿予備校等を経て昭和三四年四月早稲田大学第一政経学部政治学科に入学し、昭和三八年三月同大学を卒業したが、さらに同年四月同大学の大学院政治学研究科(政治学専攻)に進み、比較憲法(政治制度論)の研究、殊に「韓国におけるナシヨナリズムの研究」をテーマとする研究を続けて、昭和四四年三月一五日同大学院修士課程を終了し、同日政治学修士の学位を授与された。同人の父在云は札幌市に居住し、パチンコ店の経営等を目的とする株式会社オメガの代表取締役などをしているので、相手方はその後右在云方に居住し、右オメガの営業に従事するかたわら、大学院在学当時からの前記研究を継続し、昭和四四年九月には敬文堂出版部から「韓国の憲法―その成立と展開」と題する著書を出版し、さらに「北朝鮮の憲法」と題する著書を出版すべく準備中である。しかして相手方は昭和三九年韓国に帰国した際、鄭蘭順と結婚し(翌四〇年三月届出)、翌四〇年七月に長男南奎をもうけたが、その後昭和四二年一〇月には次男南賢をもうけ、右妻子らは現在相手方の母永説と同居して京城市で暮らしている。

2  さて相手方は、本邦に入国したのちの昭和三六年四月四日に法務大臣から期間を一年とする特別在留許可をえたが、その後昭和四四年一二月二日までの間に、前後一四回にわたり期間を一年ないし六〇日とする在留期間の更新をえ、その最終の在留期限は昭和四五年一月八日と定められていた。そこでその期限到来前の昭和四四年一二月二六日、「父在云が事業経営のため韓国に帰国しているので、しばらくの間本邦にとどまらないと、父の本邦における事業の継続が不可能になる。」等の理由を付して在留期間更新の申請をしたところ、法務大臣は翌四五年一月七日にその不許可処分をし、札幌入国管理事務所入国審査官は同年三月一九日相手方を出入国管理令第二四条第四号ロ(不法残留)に該当すると認定した。相手方は直ちに同事務所特別審理官に口頭審査を請求したが、同審理官より同月二〇日右審査官の認定に誤りがない旨判定されその旨通知を受けたので、さらに法務大臣に異議の申立をしたところ、法務大臣は同年五月二五日右異議申立を棄却する旨の裁決をした。そこで抗告人は右同日相手方に対し退去強制令書を発付し、直ちにその執行に着手したが、相手方の請求により間もなく仮放免し、その後一カ月ごとに仮放免期間の延長を許してきたが、同年八月二六日以降これを拒否した。

3  相手方は、右法務大臣のした異議棄却の裁決と、右抗告人のした退去強制令書発付の処分とを不服とし、同年八月二四日法務大臣と抗告人とを相手どつて右各処分の取消を求める訴訟(札幌地方裁判所昭和四五年(行ウ)第一五号事件)を提起した。

以上の事実が認められる。

三  そこで、右の事実関係のもとにおいて、相手方が右退去強制令書にもとづく執行の停止を求める理由があるか否かを、抗告人の抗告理由の順序に従つて判断する。

1  まづ抗告人は、本件は本案について理由がないとみえるときに該当すると主張する(抗告の理由二、意見の理由第二)。

しかし当裁判所は、抗告人の右主張は採用できないと判断する。その理由は、抗告人の当審における主張、疏明を考慮に入れても原決定の判断を左右するに足りないと付加するほか、原決定の二枚目裏五行目から三枚目裏四行目までと同一であるから、これを引用する。

2  次に抗告人は、回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるときに該当しないと主張する(抗告の理由三、意見の理由第三)。

しかし当裁判所は、抗告人の右主張も採用できないと判断する。その理由は次のとおり付加するほか、原決定の三枚目裏五行目から四枚目表三行目までと同一であるから、これを引用する。

抗告人は、送還部分の執行を停止すれば相手方はその蒙るべき損害を回避しうるとして、第二次的に収容部分の執行停止の申立の却下を主張する。しかし、元来退去強制令書の執行による身がらの収容は、窮極の目的である送還部分の執行を保全するため身がらを確保しようという付随的、補助的措置にすぎないうえ、被収容者の自由を直接的に制限して同人に精神的、肉体的苦痛を与える性質のものであるから、送還部分の執行を停止すべしとする判断に立つ以上は、逃亡のおそれがあるなど特に身がらの収容のみでも行なうべき特段の必要もないのに、なおかつ収容すべしとすることは、社会通念上許し難いと思料する。本件の場合、相手方は既に認定したとおり、昭和三一年六月本邦に入国して以来今日まで一五年近い年月、犯罪(不法入国の点は除く)その他本邦の社会秩序をみだす如き格段の非行をおかした形跡は全くなく、かえつて大学院に進み修士号をえ著書まで出版したいわば学究の徒であるし、同人が身を寄せている父在云は、一応の経済力と社会的地位を有していて、身元が確実なのであるから、逃亡のおそれがあるとはとうてい言いえない(なお、相手方が再三の在留許可更新申請に際し、いついつまでに帰国すると誓約しながら、ついにこれを履行しなかつたことは、一見信義にもとるかの如くであるが、在留許可更新をえようとするあまりのやむない手段だつたと解することも十分可能なのであつて、右誓約違反をとらえ相手方の性行をうんぬんすることは酷にすぎると思料する)。しかも相手方は、前認定のとおり父在云の経営する会社の営業に従事するかたわらであるとはいえ、依然学問の研究に情熱を持ち二度目の著作の準備中であるし、また、本件退去強制令書の発付処分の取消等を求める本案訴訟を提起しているから、たとえ弁護士に訴訟代理を委任しているからといつて、みずから訴訟準備ないし訴訟活動をする必要がないとはいえないし、法律を学んだ者としてみずからこれを行ないたい強い意欲を有するであろうことは、これを窺知するに難くない。その他本件について身がらの収容だけでも行なうべき特段の事情を窺うに足りるなんらの疏明資料はない。そうしてみると、本件の場合収容の限度においてもこれを執行することは、たとえそれが送還部分の執行におけるよりは軽度であるとはいえ、なおかつ相手方につき回復困難な損害が生ずるおそれがあり、かつこれを避ける緊急の必要があるといわねばならない。

3  さらに抗告人は、本件の執行停止は、公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがあると主張する(抗告の理由三の(5))。

この点に関する抗告人の論旨は、要するに、本件執行停止殊に収容部分のそれは、在留資格のない者に在留を認める結果となるから、わが国の出入国管理行政の建前を著しくみだし、ひいては公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがある、というのである。しかしながら、ある行政処分の執行が停止されれば、それにより予定された国の行政が一時阻止されることになるから、その意味においては執行停止は行政をみだすといえなくはないが、このことは行政処分の執行停止すべてに通じて言えることであつて、もとより出入国管理行政にのみ限ることではないのみならず、法が執行停止の制度を設けたのは、右の意味において国の行政がみだされることは、個人の権利保護上やむなしとしたからにほかならない。のみならず、本件の執行停止は、相手方の送還、収容を停止するだけのことであつて、相手方に対し在留資格がないのに在留を許可する性質を有するものではない。相手方が本邦に在留しうるのは、送還、収容が停止されることの反射的効果として生ずる事実上の結果にすぎないことは多言を要しない。それゆえ、相手方という一個人の送還、収容が停止されるというだけの理由で、わが国の出入国管理行政の建前が著しくみだされるとは、とうてい考えられない。もし所論のとおりとするなら、収容部分の執行停止はいかなる場合にも許されないことになるが、かかる見解にはにわかに賛同し難い。しかも本件の場合、抗告人の全疏明によつても、執行停止をすることが出入国管理行政の建前を著しくみだし、公共の福祉に重大な影響をおよぼすと懸念すべき特段の事情は、なんら認められない。よつて抗告人の右主張も採用できない。

四  以上のとおりであるから、相手方の本件執行停止の申立は送還部分についてはもちろん収容部分についても理由があり、これを全部認容した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がない。よつてこれを棄却すべきものとし、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九五条、第八九条にしたがい、主文のとおり決定する。

(裁判官 原田一隆 神田鉱三 岨野悌介)

抗告の理由

一 相手方の本件執行停止の申立は、本案について理由がなく、また、執行停止の必要性を認められないから、すべて失当として却下されるべきであるが、この点についての抗告人の主張は、別紙意見書中「意見の理由」において述べたとおりであるから、ここにこれを援用するほか相手方の主張および原決定がいずれも出入国管理令上および同管理行政上当を得ないものであることについて、以下にこれを敷衍補足する。

二 本件申立てはその本案について理由のないことが明らかである。

行政事件訴訟法第二五条第三項にいう「本案について理由がないとみえる」こととは、行政事件訴訟特例法の下において、解釈上、本案について一応理由があるとみえることを執行停止の要件としていたため、この当然のことを明文で規定したにすぎない(杉本良吉、行政事件訴訟法の解説八九頁等参照)そのものであるが、新法ではこの規定が執行停止の消極的要件として定められたため、執行停止申請の段階で行政庁側が、係争処分の適法要件の具備を一応疎明する建前となつたのである。

そこで、抗告人は相手方に対し口頭審査および異議申立の機会を与える等厳格な手続によつて行なわれる出入国管理令(以下単に令という。)に基づく収容、退去強制処分の場合には、行政庁が処分の適法要件について主張および一応の疎明を提出すれば、その段階では本案について理由がないとみえるときに当ると解すべきである。蓋し、行政処分は公定力を有し即時執行することによつて行政目的を達成するものであつて、しかもその処分に至るまでの間に、訴訟手続にも比肩するような厳格な行政救済手続が与えられているのであるから、その執行は、私人間の紛争につき現状維持のために認められている仮処分や強制執行停止等と同視することが許されないからである(判例時報四九一号五一頁疎乙第二五号証参照)。

原決定は、相手方が「本邦において、大学院で習得した研究を続けることを望んでいるうえ、父金在云が、韓国において設立した二つの株式会社の営業準備のため、韓国に滞在する期間が長いので右研究にあわせて留守中の父に代わつて株式会社オメガの経営にあたる必要上、引き続き本邦に在留することを強く希望するに至つていることが認められるとし、相手方のこれまでの長期にわたる在留期間を無事過ごした生活態度からみれば、相手方を今後本邦に在留させても、わが国にとつて直ちに不都合な事態が生ずるものとも考えられない」と判示しているが、右は全く出入国管理令の解釈、なかんづく同令における在留資格制度の基本的理解を誤り、かつ出入国管理行政ことに外国人の在留管理という重要な事実を看過した単なる人情論というべく到底承服しがたい。

(1) まず、本件退去強制令書が発付されるに至るまでの経緯をみると次のとおりである。

相手方は、昭和三二年六月小型韓国船に便乗して本邦に不法入国し、昭和三五年七月右不法入国の事実が発覚したものであり、本来ならば、この時点において令第五章に規定する退去強制手続により、即刻韓国に退去強制さるべき者であつた。

しかるに、相手方について当時特に本邦における在留が認められたのは、本件不法入国が発覚当時相手方は早稲田大学第一政経学部政治科第一学年に在学中であり、その後四年間修学すれば学業を終えることが認められ、かつ相手方においても法務大臣に対する異議の申出に際して、学業終了後は必らず出国する旨を真摯に誓約したので、法務大臣は昭和三六年三月六日裁決に際し、令五〇条により、相手方の異議の申出は理由がないと認めたが、特に「学業終了まで」の条件を付して相手方に対し、在留特別許可の裁決をし、令四条一項一六号、特定の在留資格および在留期間を定める省令一項三号に該当するものとしての在留資格(以下在留資格四―一―一六―三という。)、在留期間一年を付与したものである。

その後相手方は引き続き早稲田大学第一政経学部政治学科、同大学院政治学研究科修士課程に在籍し、昭和四四年三月右修士課程を修了したものの、その間において四年にわたる休学または論文未提出による留年等により、本邦への居座りを策する者であるとの疑いもあつたが、相手方は学業継続を強く希望し(疎乙第二六号ないし同第三七号証)、大学、大学院に在籍する事実も認められ、指導教官大西邦敏教授から在留嘆願(疎乙第四六号証)がなされたこと等の事情から、特に在留期間の更新を許可したものである。

ちなみに修学目的で本邦に在留を許可された外国人が、故意に休学あるいは留年をかさね、本邦に居座りを策することは入管行政上顕著な事実である。

ところが、相手方は昭和四四年三月早稲田大学大学院政治学研究修士課程を修了したにもかかわらず出国せず、さらに在留を希望して第一三回目の在留期間更新許可申請(疎乙第三八号証の一)をするに及んだところ、その理由書(疎乙第三八号証の二)において大学院の修士論文を同年八月までに出版したい旨の意向を表明し、その在留期間内には出国する旨の誓約書(疎乙第一〇号証)をあらためて提出したので法務大臣は、八月までに修士論文を出版したいという相手方の事情をくみ、その期間内に出国する旨の誓約を信頼し、かつ出国のための諸般の整理・準備事務のため必要ありと判断して、特に出国準備期間として、これを許可したのである。

しかるに、相手方はその誓約に反し、右在留期間が経過しても出国しないのみならず、昭和四四年一〇月三〇日にいたり父が留守のために株式会社オメガ(パチンコ店)と株式会社原島運輸の仕事をするためとの理由で、第一四回目の在留期間更新許可申請をした。

前に述べたとおり、不法入国が発覚した時点において、退去強制されていたはずの相手方に対して法務大臣が在留特別許可を与えたのは、特に学業が修了するまでの間に限つてのことである。しかるに相手方は、通常の修学期間をはるかにこえた約一〇年間にわたり本邦に在留を許されたうえ、それまで在学していた早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了し、かつ念願の修士論文を完成したうえその出版も終えたのであるから、自発的に本邦から退去することを期待して同年十二月二日出国準備期間として在留資格四―一―一六―三、在留期間六〇日をもつてこれを許可した。

ところが、相手方は右に述べたごとき法務大臣の格別の配慮にもかかわらず、さらに同年一二月二六日にいたり、学業の修得とはまつたく関係のない父経営の事業継続などを理由に、第一五回目の在留期間更新許可申請をした。これまでにるる述べたところから明らかなように、相手方の在留資格はあくまでも学業のためのものであつてそれ以外のものではないから今次の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由がないので法務大臣は昭和四五年一月七日これを不許可とし相手方に通知したものである。

以上の経緯により相手方は、在留期間の終期である昭和四五年一月八日をこえて本邦に不法に残留した者であり、退去強制手続の結果同年五月二五日退去強制令書が発付されたのである。

(2) もともと本邦に入国し在留するすべての外国人は、緊急上陸による上陸、観光のための通過上陸等特殊な場合を除くほか、令九条三項により決定された在留資格をもつて在留するのでなければ、本邦に在留することは許されないのである。

したがつて、出生その他の事由により令第三章に規定する上陸手続きを経ることなく本邦に在留することとなる外国人については、その事由が生じた日から六〇日以内に出国する場合を除き三〇日以内に在留資格取得許可申請を行ない、在留資格を取得して在留しなければならない(令二二条の二)こととされているし、さらに退去強制事由に該当する者(令二四条)であつても、在留を特別に許可される場合(令五〇条)は、在留資格・在留期間を指定される(令五〇条、令施行規則三七条)こととされているのである。

このように、在留資格制度は、出入国管理令を貫ぬく根本原則であり、わが国の出入国管理行政の根幹をなしているものである。そのために外国人がその在留資格に属する者の行なうべき活動以外の活動を許可なく行なうときは、六月以下の懲役若しくは禁こ又は三万円以下の罰金に処せられ(令七三条)、また当該在留資格以外の在留資格に属する者の行なうべき活動をもつぱら行なつていると認められるときは三年以下の懲役若しくは禁こ又は一〇万円以下の罰金に処せられるほか、退去強制手続により本邦からの退去を強制されることとされているのである(令二四条四号イ)。

その反面令四条に規定する各種の在留資格とそれに対応して同令施行規則三条に定める在留期間を付与されることによつて、当該外国人はわが国の法令に違反しない限りその期間わが国に在留することが保障されているのである。

たとえば、本邦を観光しようとする外国人は、わが国の在外公館において入国査証(ビザ)申請をし、所持する旅券に観光査証を取り付け、本邦に上陸するとき入国審査官による審査を受けて(令七条)、上陸のための条件に適合していると認定されたとき上陸許可の証印を受け、その際在留資格四―一―四及び在留期間六〇日が決定されて観光客として本邦に在留することとなるのであるが、観光客として在留を許可された者は、観光客として必要な活動以外の活動を行なうことは許されない。また、外国人が本邦において研究活動・教育活動等を行なおうとする場合は、学術研究機関又は教育機関において研究の指導又は教育を行なおうとする者に対応する査証をその本国においてわが国の在外公館から取り付け、上陸審査において入国審査官より在留資格四―一―七の決定を受けて入国しなければならず、この資格で入国在留を許可された者は、その他の在留資格に属する活動を行なうことは許されないこととされている。

これは、外国人が本邦において行なう社会・経済・学術・労働その他の分野での活動が、わが国の社会・経済・学術・労働その他あらゆる方面において重大な影響力を及ぼすおそれがあるため、いかなる活動を行なう外国人を、どの程度入国させ、またいかなる期間在留を認めるかについて事前に十二分の調査を遂げたうえ、これを決定することが、出入国管理行政上不可欠の条件であるからであり、学術研究または教育機関において研究の指導または教育を行なおうとする者の出入国を認める際には、事前にその者の学歴・能力等の調査のみならず、わが国の関係機関等とも十分な連絡を遂げたうえでその許否を決しているのであるし、技術者の入国についても、その者の技術の程度・経験年数等の事前調査のみならず、わが国の関係省庁とも事前協議を遂げたうえ、その者の入国の許否を決定しているのである。

したがつて、このような事前調査・事前協議を経ない外国人の入国は、観光等の特殊なものを除いてはあり得ないわけである。

このような観点からすれば、相手方が、学業修了までとの条件を付されて在留特別許可を与えられたのにもかかわらず、昭和四四年三月同大学大学院修士課程を卒業したのちは、父の経営する株式会社オメガ及び株式会社原島運輸の経営に参加すること、またそのかたわら「北朝鮮の憲法」の出版準備等のための研究を継続することは許されないものというべきである。のみならず原決定が相手方が本邦において大学院で習得した研究を続けることを望んでいるうえ、父金在云が韓国において設立した二つの株式会社の営業準備のため韓国に滞在する期間が長いので右研究にあわせて留守中の父に代つて株式会社オメガの経営にあたる必要上引続き本邦に在留することを強く希望するに至つていることが認められるとし、相手方のこれまでの長期にわたる在留期間を無事過ごした生活態度からみれば、相手方を今後本邦に在留させても我国にとつて直ちに不都合な事態が生ずるものとは考えられないと判示しているのは、出入国管理令を誤解し、かつ出入国管理行政に対する認識を欠くものといわざるを得ない。

なお、在留期間の更新は、令二一条三項に定められているとおり、法務大臣が当該外国人の提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限つて許可するものであるが、右理由は、在留資格の範囲内における活動について存在することが必要であり、これはさきに述べた在留資格制度を維持するうえに不可欠の事柄である。

したがつて、在留資格を維持することができない者については、在留期間の更新、即ち在留資格の継続は理由が失なわれているのであるから、たとえ在留資格の範囲外の活動を行なうことについて相当の理由があると認められる場合であつても、それは、令二一条三項にいう在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由にはあたらないのであり、在留資格の範囲外の活動をなす目的をもつてなされた在留期間更新許可申請に対してこれを不許可とすることは、なんら違法の問題を生じないのである。

さらに、たとえ在留資格の範囲内の活動をなす理由をもつてなされた在留期間更新許可申請についてみても、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由の有無の判断は、法務大臣の自由裁量に委ねられているものである。

元来外国人の入国及び在留の許否は、もつぱら当該国家の自由裁量により決定し得るものであつて、特別の条約の存しない限り、国家は外国人の入国または在留を許可する義務を負うものでないというのが、国際慣習上認められた原則であつて、わが国の出入国管理令の各規定にもこの原則が反映されているのである。

従つて、外国人には自己を在留させよと国家に対して要求する権利は存しない。

以上のとおりであるので、相手方の本邦での大学課程修了という在留資格は、すでに実質的に消滅している状態において、前記在留期間更新申請を不許可にしたのであつて、相手方には、もはや考慮すべき前記在留資格の継続を要する段階にはないのであり、本件各処分にはなんら違法・不当な点はない。

三 相手方には本件執行により「回復困難な損害」も、またこれを避けるための「緊急の必要性」も存しない。

原決定は、相手方が本件執行により回復困難な損害を蒙ると判断したが、もともと相手方は前記経緯により法務大臣から最終の出国準備期間として昭和四五年一月八日まで六〇日間の在留期間更新許可を受けたものであつて当然右期間内に出国できた筈であるのに、出国をしないで本邦に居すわろうとしたものであるから、そのことによつて、かりに損害が生じたとしても、これをもつて、回復しがたい損害ということはできず、また原決定の内容は要するに相手方の本邦での在留目的が達せられないこと、および満足な本訴遂行が殆んど不可能になることの二点を掲げているが、これらはいずれも執行停止の要件となるべき回復困難な損害には当らない。

(1) 在留目的―大学教育―について

相手方の不法入国目的は、そもそも本国での高等学校教育修了後において、父を頼つて本邦の大学で勉学するためであつた(特に疎乙第一号証中三、四、七および一五、同第五号証の二)し、現に早稲田大学に在学中であつたので、同人の不法入国が発覚した折、その目的および現に大学在学の身分を尊重考慮し、同大学卒業後はすみやかに帰国する旨かたく誓約したので、法務大臣は、特に、相手方が同大学での学業課程を履修することを相当と認め、これを目的条件として特別在留許可を与えたもので、右許可の日(昭和三六年四月四日)においてもこの特別在留許可の趣旨は強調・確認され、相手方も「許可条件であります学業終了まで、日本の法と秩序を守つて卒業しましたら直ちに帰国する」旨全文自筆の誓約書(疎乙第四〇号証)をもつて明確に右趣旨・目的を認識し、これに従つているのであるから、本来相手方は右学業を主目的として専心すべくこれに関連する範囲内での在日社会生活を営むことしか期待してはならず、法務大臣においてもこれを超える広い範囲での本邦内生活・活動を相手方に確保した趣旨では毛頭ないのである。

そして相手方は、同大学々部卒業にとどまらず同大学大学院修士課程をも履修したが、所管庁においても、必要な範囲でこの目的に副うべく、昭和四〇年四月からは従来の在留期間一年間を一八〇日に短縮して更新し、翌年春同大学院修了の見込まれた同四三年一一月の更新時には「今回限りの更新一ということで右修了後の同四四年五月までの更新を許してきた(疎乙第二一号証)こと明らかであつて(相手方も右各更新に当つては申請趣旨を大学大学院における学業履修のためとしており、その他の目的遂行のための在留を考えてはいない。疎乙第二六号ないし第三七号証)、右大学院修了をもつて相手方の不法入国在留目的はもとより、法務大臣の特別在留許可目的も十二分に達成されたものと断言してはばからないところである。

あまつさえ、相手方は同四四年九月には「大学院での研究生活を終えるにあたつて」従来の研究成果を綜括し『韓国の憲法』を公刊することまで実現した(疎甲第五号証)今日、もはや大学専門教育の便益供与としての在留の必要性は何ら在しないもので、この点についての損害は全くないのである。

(2) 在留目的―大学院修了後の研究活動―について

原決定はさらに、相手方は「大学院で習得した研究を大学院の教授らの指導の下に続けることを望んでいる」として本件執行によりこの目的(希望にすぎない)が達せられなくなり、これが回復し難い損害であると判断しているが、その具体的認定内容が不明な上、論旨疎略であり、肯認しえない。

すなわち具体的にいかなる内容の研究がいかなる段階にあつてそれが本執行により回復しえない程不可能になるのか全く不明で、この点についての疎明はないものである。

相手方が学籍を離れてからのかかる一般社会にあつての研究は、既述のように本件特別在留許可の目的・内容とはなつていないのみならず、大学院時代の指導教授らとの師弟間の学問的指導関係は、相手方が本邦に居なければ確保されない性質のものである筈はなく、書信・電話等によつても一応の目的は達しうるわけで現在どうしても本邦にあつて面談のうえ個別、具体的な右指導を得なければならない現実的必要の迫つていることは全く認められないところである。

もつとも、相手方は、大学院修了後も「韓国のナシヨナリズムの研究」「北朝鮮の憲法について」などの研究・発表など予定している旨は所管庁に対しても陳述しているが(疎乙第二二号証)現実には、相手方は後記株式会社オメガ(パチンコ遊戯場)の業務遂行等の商用にその精力を注いでいると相手方自ら強調し、現に大学院修了後の二度にわたる在留期間更新申請に当つても、その申請理由はもつぱら商用のためであつて、右研究のための必要は考慮しておらず(疎乙第九、一一号証中各11「在留期間更新の理由」欄)さらに、本件不法在留期間中の仮放免許可願に当つても特に右研究目的は掲げられておらず(疎乙第一八ないし二〇号証)就中右期間中の四回にわたる「一時旅行」許可(制限住所地を離れる際の許可、令第五四条第二項)申請理由としても前記指導教授らとの面談・指導の目的は掲げられていない(疎乙第四一ないし四四号証)等の本人の動静を客観的にみるときは、実父自ら「息子は、余暇を見て研究しています」(疎乙第八号証中五)と述べているように身辺の諸般の情況から客観的に許された本人の在留目的の重点は最早、実父の事業の援助に移つていると認めざるを得ないところで、傍ら研究も続けたいと希望している程度のものとしか認められない。

そして、相手方の大学院での研究成果である前掲『韓国の憲法』を通覧するも、そこでの重要な文献ないし資料は殆んど本国出版のものであり、本邦および米・独出版の文献・資料もごく一般的なもので本邦でなければこれを利用しえない困難性は何ら認められないことを前記情況にあわせて考えるときは、相手方の前記程度の強さの研究目的は具体的切実性に乏しく、商業活動の余暇をみての努力目標ないし希望というべきもので、日本に居れば便利だという以上のものではないと認めるの外なく、本件執行により前記研究が不可能ないし、極めて困難となる事態は認められず、これをもつては到底回復し難い損害を蒙るといえるものではない。

(3) 在留目的―株式会社オメガ経営の必要―について

原決定は「父が韓国において設立した二つの株式会社の営業準備のため韓国に滞在する期間が長いので、右研究にあわせて、留守中の父に代つて株式会社オメガ(申立人は同社の取締役である)の経営にあたる必要」があつて在留を強く希望していることを認定して本件執行により該在留目的が達せられない損害は重大で回復困難であると判旨しているが、相手方の在留希望が達せられないという以上にいかなる主体について、いかなる損害があるとするのか、その詳細は全く不明である。

そもそも、執行停止の要件たる「回復困難な損害」は、当該申請人本人に生ずべき個人的な権利・利益の侵害をいい、本人に関連した第三者のそれを含まないと解すべきこと、旧行政事件訴訟特例法第一〇条二項における場合と同様である(たとえば雄川一郎著、行政争訟法二〇二頁、同所引用裁判例で参照)から、相手方が本件執行により右会社の経営業務に従事できないことによつて蒙る右会社および同代表取締役たる実父の蒙る損害(かりにこれがあるとしても)ないし不便は、「執行停止」制度上保護される利益ではないのである。

なるほど右判旨のように相手方は公簿上、昭和三八年からこのかた株式会社オメガの取締役ではあるが、同社設立の同年から昨四四年春までは在京して学業にあり、この間何ら業務についていないので、右地位も同族会社なるが故の形式的なものであり、実質的には今日まで、来札後のわずか一年ほどの経営関与にしかすぎない。本件執行により同人が蒙る損害といえるものは、右業務に従事しえないために同社から月五万円の給与支給を受けている利益を受けられなくなる可能性がわずかに右個人的な保護利益の侵害に当りうるところであろうが、同社の同族関係からみて、かかる場合にも何らかの形で役員報酬の支給を受けうるであろうことは巷間よくある事例であり、かりにこれが皆無であるとしても、かかる損害は社会通念上金銭賠償によつて受忍しうる程度のものであつて(最高裁大法廷昭和二七年一〇月五日民集六巻九号八二七頁)回復困難な損害とはいえない上に、本件執行によつて帰郷後も、同人は実父設立にかかる在韓二会社の理事であるので、そこでの事業関与(韓国セラミツクス工業の方はすでに本年頭初において操業段階にある。疎乙第八号証中四。)により、相応の収入が期待でき、さらに現に実母は地主で相手方の妻子と共に京城市で安定した生活を営み、加うるに実父からは同人ら宛に月約五万円の送金があり、実母が右在韓二社の監事についていること(疎乙二三号証中五。同第六号証中六枚目の裏。第一五号証の一、二)からもうかがわれるように未だ同女と実父との関係は緊密に保たれていること明らかで、今後ともこの送金は同様に継続されること確実であるとみられるのであるから、かりに相手方が本邦を離れて在韓家族らと共になつても同人の生活が危殆に陥るとか一家の経済が著しく困難になるという事態は全く考えられないところである(現に実母をはじめ在韓家族は相手方の仕送りなしに安定した生活を確保しているのである。疎乙第六号証中六枚目裏。)。

そもそも相手方は、前記のとおり学業目的のため来日し、在留を特別に許可されてからも学業修了後は帰国する旨再三、再四強調し誓約して来たところであり、あまつさえ学業半ばの昭和四〇年再入国許可を受けて本国に帰り婚姻して、現在妻及び二子を本国に残して来ている経緯に徴すれば、明らかに学業修了後は本国での生活を目途としていたことが客観的に明白であるのであり、帰国して妻子と生活を共にすべき筋合というべく、何ら生活上回復困難な損害を蒙るおそれはないのである。

また、原決定は何ら触れるところなく、判断していない事柄ではあるが、如上の相手方の個人的利益の範疇に属するものとして評価すべき「原島運輸の経営に参加」(申立の理由第一、五)問題があるところ、事実は、相手方は更生会社原島運輸の従業員として昨昭和四四年九月から稼働し月三万円の収入を得ているにすぎないもののようであり(疎乙第六号証)実父は同社の同四二年三月更生計画認可に当り一取締役として就任(従前は監査役)したが別に管財人が選任されていて同社の経営業務は同人の行なうところであるから、実父の経営関与は株式会社オメガに比して極めて稀薄であり、相手方の同社での稼働は全く個人的な労働というに帰するから、ここで得られる収入についても、なるほど本件執行によりこの途は断たれることになるけれども、前示オメガからの収入についての場合と同様に、これがため同人に回復し難い損害を与えるものとはいえない。

右のように、相手方に帰しうる損害で回復困難なものは何ら認められないところであるが、相手方および実父らが強調している事態は実父が在韓二社の事業で在韓日数が多いため、オメガ・パチンコ遊戯場の経営に直接当る余裕がなく身内である実子の経営にまたねばならないということであり(疎乙第七号証中一、同八号証中五)相手方も昨昭和四四年以降の在留期間更新許可申請の理由としてオメガの経営を掲げている(疎乙第一一、一二号証)ところ、相手方が右経営ないし営業に直接当れないことによつて会社ないし代表取締役たる実父が蒙る不便はあり得るとしても、これは右のように本件執行停止の要件に当るものではないにとどまらず、そもそも損害といえるほど深刻・重大なものとは到底認められないこと以下に述べる如くである。

すなわち、同社の事業は現実にはパチンコ遊戯場経営のみで該事業種は、いわゆる「くぎ師」といわれる専門技術者の確保さえあれば、あとは格別に高度の経営能力・専門技術等を要求されるものではなく、相手方はわずか一年余の実際経験をもつにすぎないことを考えれば、同人が居なければ経営がなり行かないものではなく、現に同人と同等或いはそれ以上の経験年数・手腕を持つている者が五名位は居り、中にはより高額の給与を得ている支配人もおり、就中実父の内妻、孫貞任(中島光子)が営業(景品等の仕入等)担当者として活躍している(疎乙第六号証、別紙1)のであつてみれば、相手方の企業内貢献度・重要度は非代替的なものとは到底みられず、実父にしても、身内なので任すのに安心だという程度のものでしかない。

このことは実父の在韓日数、即ち在韓二社の業務のためとして本邦を留守にした期間からみても明らかで、相手方が在学中のため札幌不在で同社の経営に関与できなかつた昭和四〇年に約一ケ月半、同四一年に七ケ月、同四二年に八ケ月余、同四三年に九ケ月余、相手方がその春卒業した同四四年には一月末から一二月末までの一一ケ月二一日の多くに及んでいる(疎乙第四五号証)のであつて、これはこの間前掲別紙にもあるように大村専務取締役・金支配人・福定取締役等の営業担当者、更には内妻がいるので、かくも長い不在のためとて同社の経営に格別の支障がない見通しあつたことに外ならず、この事態は相手方が昨同四四年夏から同社経営に関与した後も全く変らないところで、相手方の在・不在は会社経営に格別重大な影響を与えるものとは認められる筋合ではない。さもあらんか、相手方は原島運輸に従業員として勤務し相応の対価を得ており、本年に入つて実父離日期間(三月三一日~八月三日)中も、四~五月に三〇日および一週間、五~六月に二五日間も札幌を離れている(前掲疎乙第四一号ないし四四号証。)。

ことに如実に示されているように、実父はもちろん、相手方のかなりの不在に拘らず同社の営業は円滑に進められているのであつて、相手方が在札してその事業専念がなければ、同社ないし実父としても経営上重大な障害を蒙るというようなものでないことが全く明らかである。

(4) 本訴遂行上の困難性について

原決定は、本件執行により相手方の満足な本訴遂行が殆んど不可能な状態になるとして、回復し難い損害を被るものと認定されるが、本訴には専門の弁護士が選任されている上に本件申立自体および疎明によつて、相手方の不法入国・特別在留許可・同期間更新不許可についての経緯はほぼ争いなく、本人および家族の現況・目的等も明らかにされているので、争点は、ただ右不許可処分の適否という殆んど法律問題にかかつているにすぎなく、本人が現状のままで居なければ本訴遂行が不可能となる状況ないし訴訟進行段階にあるとは到底いえず、これがため本件執行を停止しなければならない重大な損害の発生もなく、また緊急性もないのである。

もちろん相手方を収容ないし送還することによつて、訴訟遂行上の不便は通常発生するとしても、これは有効・適切な訴訟代理人の活動によつて克服しうる程度のものであつて、もし右のような処分に伴う一般的な不利益によつて、当然処分の執行を停止し得るものとすれば、退去強制処分は常に例外なくその執行を停止しなければならないこととなり、このことは処分取消の訴の提起によつては処分の効力を妨げられるものではなく(執行不停止の原則)、その執行停止は特に処分により生ずる回復困難な損害を避けるため緊急の必要性があるときに限つて許している、行政事件訴訟法第二五条の法意に反するからである。されば本件において少くとも相手方を収容すること自体によつては右の意味での回復困難な損害はないというべきである。(東京高裁昭和四五年三月三〇日決定疎乙第四九号証)

(5) 出入国管理行政のうえで、不法入国・残留者をわが国から退去せしめるのは、領土の広狭・人口の多寡・犯罪および各種牒報等の諸種の政治的・経済的・社会的要因に基づく配慮によつてわが国の全体的秩序を維持しようとするところにある。したがつて、わが国に外国人の不法入国・残留者の在ること自体が出入国管理上看過しえないことなのである。言い換えれば、これらの者は、出入国管理行政の基本的秩序を破壊したものであるから、出入国管理行政上、わが国に在留することが不適当として排除すべきであつて、本来、正規にわが国に在留を認められた外国人あるいはわが国民と同等に取り扱われるべきものではないのである。もとより、行政処分についての執行停止の制度が認められる以上、例外的に右の取り扱いに変更を及ぼす場合があることは当然であるが、本件の如く不法残留の事実が明らかである場合には、少なくとも収容のような一応の隔離措置については、余程のことがないかぎり認められるべきものではないのである。

相手方については、これまで仮放免の措置がとられてきたこともあることから分るとおり、相手方の収容に客観的な支障がある限り仮放免が継続されるのであり、右支障が消滅し一旦収容した後でも、必要に要じて再度仮放免の措置をとることとし、収容によつて相手方に不測の事態を惹き起すことのないよう十分配慮しながらその身柄の確保(出入国管理令第五四、五五条参照)に努めてきたのである。ところが、ひと度、収容部分までを含めて全面的に本件執行が停止される場合には、法定の在留資格のない外国人について、事実上本邦に在留を認めることとなるのみならず、保証金および行動範囲の制限を伴う仮放免制度による規制も受けず、出入国管理令による外国人としての管理を受けることなく、相手方は全く無制限に生活・行動することができることとなり、かような事態のまま本案判決確定に至るまで相当長期間放置を余儀なくされることは出入国管理行政上重大な支障を生ずるものであり、同令に規定する法定の在留資格を紊し(東京高裁昭和四三年四月一六日決定、疎乙第五〇号証)本案判決が抗告人の勝訴に確定しても本件処分の執行が不能となるおそれも否定しえないわけである。

要するに、不法入国・残留者の強制収容には、わが国の全体的秩序のためにこれらの者をわが国の社会生活から可能なかぎり排除しようとする国家目的があり、仮放免によれば法的に身柄を確保することによつて暫定的にこの目的にそう措置が可能であるが、執行停止による放免にあつては、その間は全く放任状態となり行政上の公的義務を果しえない結果となる。

こうした点について、原決定は不法入国・残留者をどうするかということについての大局的配慮を欠いており、かかる放任の事態は出入国管理行政の建前を著しく紊るもので、ひいては公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである(大阪高裁昭和四五、三、一九決定、疎乙第四八号証参照)。

以上のとおりであるから本件執行を停止すべき要件は全く存しないもので原決定は全面的に取消を免れず、少くとも相手方の収容(護送を含む)の執行は停止されるべきではなく、この限度で原決定は変更されるべきものである。

よつて、わが国をして不法入国・残留者のための天国たらしめるが如き原決定は、わが国の出入国管理行政秩序を無視し、わが国の法秩序の利益につき何ら配慮していないと思われるので、再度慎重な判断を仰ぎたく抗告に及ぶ次第である。

原審決定の主文および理由

主文

被申立人が申立人に対して発布した昭和四五年五月二五日付退去強制令書に基づく執行は本案判決の確定に至るまでこれを停止する。

申立費用は被申立人の負担とする。

理由

一 申立人の申立の趣旨および理由は別紙一のとおりであり、これに対する被申立人の意見は別紙二のとおりである。

二 一件記録によると、申立人は、昭和一三年四月二〇日申立人の本籍地である韓国慶尚北道聞慶郡で父在云、母永説の長男として出生したが、高等学校を卒業後勉学の目的をもつて昭和三一年六月一日正式な入国の手続を経ずに本邦に入国し、近畿予備校等を経て昭和三四年四月早稲田大学第一政経学部政治学科に入学し、昭和三八年三月同大学を卒業後同年四月同大学の大学院政治学研究科(政治学専攻)に入学し、以後比較憲法(政治制度論)の研究を続け、昭和四四年三月修士課程を終了したこと、この間、申立人は、昭和三六年四月四日法務大臣から一年間の特別在留許可を得た後昭和四五年一月八日に至るまでの合計一四回に亘る在留期間の更新を得たこと、ところが、昭和四四年一二月二六日に申立人が「父在云が事業経営のため韓国に帰国しているので、しばらく申立人が本邦に留らないと父在云の本邦における事業(札幌市北二条西三丁目一番地の一八所在株式会社オメガの経営)の継続が不可能になる。」旨の理由を付してなした在留期間更新の申請に対し、法務大臣は、昭和四五年一月七日不許可処分をなしたこと、その後、別紙一の申立書第二の二記載のような経過で法務大臣の異議申出棄却の裁決を経て同年五月二五日被申立人より申立人に対する退去強制令書が発布されたので、申立人は同年八月二四日法務大臣のなした異議棄却の裁決と被申立人のなした退去強制令書発布の各処分の取消を求める訴(札幌地方裁判所昭和四五年(行ウ)第一五号事件)を提起したこと(このことは当裁判所に明らかな事実である。)が認められる。

ところで、法務大臣は、異議申出に理由がないと認めた場合でもなお特別の事情が認められるときは在留を許可することができるのである。そして、その判断は法務大臣の自由裁量に委ねられているとはいえ、その者がおかれている諸般の事情を総合考慮したうえで慎重になさるべきであり、もし、著るしく裁量権の範囲を逸脱した不当な裁量がなされれば、それは違法な行政処分というべきである。しかして、記録によれば、法務大臣は、申立人の「本邦の大学における勉学」という希望を容れて申立人に対し特別在留許可をしていたものと推測され、申立人の右在留目的は昭和四四年三月申立人が大学院修士課程を終了した時点において一応達せられたとみることができるものの、申立人は、その後も本邦において大学院で習得した研究を前記大学院の教授らの指導の下に続けることを望んでいるうえ、現在では父在云が韓国において設立した二つの株式会社の営業準備のため韓国に滞在する期間が長いので、右研究にあわせて、留守中の父に代つて前記株式会社オメガ(申立人は同社の取締役である)の経営にあたる必要上引続き本邦に在留することを強く希望するに至つていることが認められる。申立人のこのような願望も無理からぬものがあると思われるし、これまでの長期に亘る在留期間を無事過ごした生活態度からみれば申立人を今後本邦に在留させても我国にとつて直ちに不都合な事態が生ずるものとも考えられない。これらの事情を彼此勘案すると、単に在留期間を徒過したとか、在留目的が変つたからといつて、これまで長期に亘つて申立人に対し認めてきた在留許可を継続しないとの措置をとつたことの適否は、なお慎重に検討しなければ容易に判断できないものであり、結局、本案における審理を経ない限り、被申立人の退去強制令書発布処分およびその前提となる法務大臣のなした異議申出棄却処分が適法であるとは軽々に断じ難い。従つて、本件申立が本案につき理由がないとみえるとはいえない。

次に、本件の場合、被申立人が退去強制令書に基づいて申立人に対し今後も収容を続け、更に送還の手続におよぶ場合を想定すると、申立人の本邦の在留目的は達せられないことになるし、加えて、満足に本訴を遂行することすら殆んど不可能な状態となり、申立人が回復し難い損害を被るであろうことは明らかである。他方、申立人を早急に本国へ送還しなければならない事情、あるいは、申立人を身柄確保のために現在収容しなければならない事情を認めるべき資料はないのである。従つて、本件においては申立人に生ずべき右損害を避けるための緊急の必要があるものといわざるを得ない。

なお、記録によると、申立人の妻子が韓国に居住していることが認められるが、この事実も右判断を左右するに足るものとは言い難い。

三 よつて、本件執行停止の申立は理由があるので認容し、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(別紙一)

申立の趣旨

被申立人が昭和四五年五月二五日付で原告に対してなした退去強制令書発付処分に基づく執行は、本案判決確定に至るまでこれを停止する。

との裁判を求める。

申立の理由

第一、申立人の経歴

一、申立人は、一九三八年四月二〇日、本籍地の韓国慶尚北道聞慶郡虎渓面牛老里一〇三番地で、父金在云、母金永説の長男として生れた。

申立人の父金在云は、一九四一年頃、本籍地で日本軍のために軍属として強制徴用され、妻子のもとから引き離され、朝鮮と満州との国境近くの雄基に従軍させられた。一九四四年初め頃、日本軍が日本内地(京都)に移駐したのにともない、申立人の父も強制徴用をそのまま継続され、妻子のもとに帰ることを許されず、日本軍の一員として来日することを余儀なくされた。

そのため、同年六月頃、申立人の母は申立人(当時六才)を連れて父を訪ねて来日し、京都市下京区島原に部屋を借りて生活し、父が日本軍から解放される日を待つた。

二、一九四五年八月、申立人らは京都で終戦を迎え、申立人の父は妻子のもとに帰つてきて、親子三人の日本での生活が始まつた。しかし、申立人一家の生活は苦しく、そのため、申立人の父は一家の日本での生活基盤を確立するまでの間、一時、妻子を郷里の祖父のもとに預けるべく決意し、一九四八年頃、申立人と母を本籍地に帰した。そして、申立人の父は、再び妻子を呼び戻し、親子の共同生活を始めるべく努力した。

三、申立人と母は、本籍地に帰つてからは、祖父のもとに身を寄せ、母は農業の手伝などをしてようやく生活していたが、米の飯さえも食えない毎日が続き、母子二人で一日も早く父と一緒の生活ができる日がくるのを待ち望んだ。

しかし、朝鮮戦争の勃発などで親子が再会する機会はなかなかめぐつてこなかつた。

申立人は、本籍地に帰つてから、就学し、一九五六年三月釜山の高校を卒業した。そして、一九五六年六月、当時京都に居住していた父親を頼つて来日する決心をして、同月一日広島に上陸した。申立人が日本入国を決意したのは、一〇年前に別れたままになつている父親と同居し、父親の援助を得て日本の大学に進学して勉強するためであつた。

四、申立人は、日本入国後直ちに父のもとに同居して、京都予備校、近畿予備校、早稲田学院予備校に通学して進学の準備をした。一九五九年四月、努力のかいあつて早稲田大学第一政経学部政治学科に入学することができた。

申立人は、一九六三年三月、同校を卒業、同年四月、同大学大学院政治学研究科に入学、比較憲法(政治制度論)の研究に専念し、一時父親の病気のため休学したが、一九六九年三月、同大学院修士課程を卒業した。

五、申立人は、右大学院卒業後、父の経営する株式会社オメガ及び株式会社原島運輸の経営に参加するかたわら、大学院での研究(韓国に於けるナシヨナリズムの研究)を続け、一九六九年一〇月、「韓国の憲法」を出版し、現在、「北朝鮮の憲法」の出版の準備中である。

第二、退去強制令書発付に至る経緯

一、申立人は、前記のとおり、一九五六年六月一日、日本に不法に入国したものであるが、戦前日本内地に居住したことのある朝鮮人であり、戦前、強制徴用により日本内地への居住が余儀なくされ、引継き戦後も日本に居住している父親を頼つての入国であつたことなどが考慮され、一九六〇年一〇月一日、法務大臣より、出入国管理令第五〇条により特別在留許可(期間一年更新)を受けた。

二、申立人の特別在留許可は、一九七〇年一月八日まで数次に亘つて更新されてきたが、同月九日以降の更新が法務大臣によつて不許可となり、同日より出入国管理令第二四条第四号ロ(不法残留)に該当するものとして、札幌入国管理事務所において違反調査が開始された。同事務所入国審査官は、申立人に対し、出入国管理令第二四条第四号ロに該当するとの認定をなし、申立人の口頭審理請求に対し、同事務所特別審理官は、入国審理官の右認定に誤りがない旨の判定をなした。申立人は、これを不服として、法務大臣に対し、出入国管理令第四九条第一項に基づき、異議申立をなしたが、法務大臣は昭和四五年五月二五日、右異議申立を棄却する旨の裁決をなし、同日、被申立人札幌入国管理事務所主任審査官は、申立人に対し、退去強制令書を発付した。

第三、本件各処分の違法性

一、確立された国際法規並びに憲法第九八条第二項違反による違法

一九五一年七月スイスのジユネーブで成立した「難民の地位に関する条約」は、その第一章第一〇項で「第二次大戦中強制的に移住させられた場合、あるいは条約国に来てそこで滞在を強制させられた結果当地の住民となつた者はその領土における合法的居住者とみなされる」と規定し、さらに第五章第三二項の(1)で「条約国は国家保安、又は公共秩序の理由を除いては、その国土から難民を合法的に退去させることはできない。」と定め、また、一九五七年一〇月インドのニユデリーで開催された国際赤十字第一九回国際会議においてなされた「離散家族の再会に関する決議」においても、戦争内乱その他の事件の結果離散している家族を再会させる手段を講じなければならないとされている。右の条約、決議の趣旨は、一国の世界政策の結果その国の領土への移住あるいは滞在を強制されたものに対しては、当該国は、その者を合法的居住者として、他の一般外国人に対するよりも手厚い保護を与え、また、離散している家族をして再会せしめ、共同して生活できるようにする処置を講じる義務を有しているというものである。そして、右条約並びに決議の趣旨に従い難民を保護し、離散した家族を再会させることは国際慣習法となつている。

申立人の父は、前記のとおり、日本の朝鮮に対する植民地支配、日本軍の強制徴用によつて日本に定着することを余儀なくされ、その結果、申立人一家は、夫婦、親子がそれぞれ日本と韓国とに別れて暮すことを強いられた離散家族である。

申立人一家は、「難民」あるいは「離散家族」として、右の条約、決議の趣旨に照し保護されなければならない。

しかるに、法務大臣は、父親との再会を求め日本に入国した申立人に対し、一たんは特別在留を許可しながら、善良な市民として父と同居している申立人に対し、昭和四五年一月九日以降の在留期間の更新を許可せず、申立人を不法残留者として、本件各行政処分を強行して、申立人を再び父のもとから引き離し、離散させようとしている。従つて、被申立人らの本件行政処分は、右の確立された国際慣習法に違反し、確立された国際法規の遵守を命じている憲法第九八条第二項に違反する違法な行政処分である。

二、裁量権の濫用ないし逸脱による違法

(一) 出入国管理令第二四条は「同条各号に該当する外国人について退去を強制することができる」旨定め、さらに、同法第五〇条は「法務大臣は異議裁決について第五〇条各号に該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる」と規定している。

この同法第五〇条の規定の趣旨は、同法第四九条による特別審理官の判定に対する異議申立の裁決の際、特別在留を許可するか否かを合せて裁決することを義務づけたものである。

そして、外国人に対し特別在留を与える権限は法務大臣の全く自由な裁量行為ではなく、常に、適正に行使する義務があり、裁量がその範囲を逸脱して、著しく不公平かつ正義に反する場合、その裁決は単に「不当」であるのみならず違法となるものである。

(二) 退去強制は、本邦に永年在留し、その共同体に融合し、定着している外国人にとつては最も苛酷な処分であり、財産と生活に価値あるものすべての喪失であつて、時には生命の喪失にも当る処分である。

ことに、日本との間に被植民地民族としての歴史的特殊事情を有した在日朝鮮人に対しては、その退去強制にあたり、その事情は特に考慮されなければならない。在日朝鮮人の存在は、日本の朝鮮に対する植民地支配の帰結であり、在日朝鮮人こそ最大の戦争政策の犠牲者であるからである。

右のとおり、日本との間に歴史的特殊事情を持つた在日朝鮮人の一員であり、戦争政策の犠牲者である申立人―申立人一家は前記一の主張のとおり、「難民」あるいは「離散家族」として保護されるべきであるが、仮に本件各行政処分が前記一の国際法規に違反しないとしても、少なくとも、前記条約、決議等確立された国際法規の理念ないし精神に反するものであることは明らかであつて、本件各行政処分の裁量権の濫用ないし逸脱の判断にあたつては充分に考慮されるべきである。

(三) 前記在日朝鮮人の歴史的特殊事情が在日朝鮮人の出入国管理行政に反映して、すでに、多数の行政実例が存在し、行政先例法ともいうべき明確な行政基準が存在している。即ち、かつて、本邦に在留した朝鮮人で、本邦に戦前から在留する親族を頼つて入国した者については原則として特別在留が認められてきたのである。申立人自身も、右行政先例にならい特別在留が認められてきたのである。

昭和四〇年一二月一八日、日本国と大韓民国との間に条約(日韓条約)が締結されたのにともない、多年の間日本に居住している大韓民国国民の日本国での生活の安定をはかるとの趣旨で「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位および待遇に関する協定」が締結されたが、右法的地位協定締結に先だち、法務大臣は、昭和四〇年六月二三日付声明を以つて「終戦前から日本国に在留していた大韓民国国民で、一時帰国した人々については、現在までにすでに長期にわたり本邦に生活の根拠を築いている事情も考慮し、協定発効後はわが国におけるその在留を安定させるため、好意的な取扱いをすることとし、本大臣において特別に在留を許可することとする……………」趣旨を明らかにした。これは、従来の行政先例を踏襲し、これを確認するものであつた。

申立人の父は、右法的地位協定の趣旨を信じ申立人を含む一家の日本での在留の安定を願い、右法的地位協定による永住権を取得しているものである。

しかるに、申立人に対し、従来認めてきた特別在留の期間更新を認めず、申立人の日本での安定した生活を保障するどころか、日本での在留権を奪う本件各行政処分は、明らかに右出入国管理行政上の先例、法的地位協定並びに法務大臣の声明の趣旨に反し、これに逆行する行政処分であつて、著しく正義に反しその裁量権の濫用ないし逸脱に該る違法な行政処分である。

以上の理由により被申立人らの本件行政処分は、いずれも違法な行政処分として取消されるべきである。

第四、本件退去強制令書発付処分の執行により生ずる回復の困難な損害を避ける為の必要性。

一、申立人は、被申立人並びに法務大臣を被告として昭和四五年八月二四日、御庁に本件退去強制令書発付処分並びに本件異議申立棄却の裁決処分の各取消請求訴訟を提起した。右訴訟の判決がなされるまでは、相当の年月を要することが予想され、その間、本件退去強制令書発付処分が執行されると、申立人の社会的、家庭的、生活条件ないし生活環境を完全且つ決定的に変更し、その回復を全く不可能ならしめ、本案訴訟で勝訴の判決を得ても権利の実現は不可能となるばかりか、訴訟の遂行すら極めて困難になる。従つて、行政事件訴訟法第二五条第二項の「処分の執行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要性があるとき」に該ることは明らかである。

二、本件退去強制令書の執行のうち、強制送還部分の執行がなされた場合、回復の不可能な損害が生じ、執行停止の必要性が認められることは多言を要しないと思われるが、収容部分の執行停止の必要性についても全く同一である。

申立人は、現在前記のとおり、大学院時代から継続している「韓国に於けるナシヨナリズムの研究」の一環として、「韓国の憲法」及び「北朝鮮の憲法」の研究出版活動をして善良な市民として生活しているものである。また、申立人は、申立人の父が現在、日本の企業(農材工業株式会社)と技術提携して韓国に設立した韓国セラミクスブロツク工業株式会社並びに高麗肥料株式会社の代表取締役として、日本政府より再入国許可を得て韓国に長期滞在しているため、前記株式会社オメガ(遊戯場経営、従業員二六名)の経営の一切をまかされ、その経営にあたつている。

もし、申立人が本件退去強制令書の執行として収容されることがあれば、肉体的、精神的苦痛ははかり知れず、後日その損害の回復は不可能であるばかりでなく、申立人の前記研究、出版活動を中止することを余儀なくされ、さらに、前記会社の資金繰り、従業員に対する給料の支払等が著しく困難になり会社の倒産もまぬがれない状態におちいること明らかである。

三、退去強制令書による収容は、送還のための身柄確保を目的とする送還のための準備行為としての付随処分にすぎない。出入国管理令の規定からしても、「送還」と「収容」を区別することの合理性にとぼしく、「送還部分」の執行が停止される以上、いたずらに申立人を収容して身柄拘禁を継続し無用の苦痛を与えることは有害無益であつて、人身自由保護の観点からしても、退去強制令書の執行停止期間中に逃亡するおそれがあると認められる事情がある場合は別として、当然「収容」部分も一体として執行が停止されてしかるべきである。申立人は、これまで、善良な市民として日本に在留してきたものであつて、逃亡のおそれ等収容する必要性は全くないものである。

四、申立人は昭和四五年五月二五日被申立人に収容され、同日仮放免となつていたが、本日再度収容され、被申立人は送還の手続を急いでいる。

以上のとおり、本案判決確定に至るまで、本件退去強制令書の執行停止を求める緊急の必要性があるので本申立に及んだ次第である。

(別紙二)

意見書

意見の趣旨

(第一次的趣旨)

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

(第二次的趣旨)

被申立人が申立人に対してなした昭和四五年五月二五日付退去強制令書に基づく執行は、その送還部分に限り本案判決が確定するまでこれを停止する。

申立人のその余の申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

との裁判をなすべきものと思料する。

意見の理由

第一、本件の事実関係は次のとおりである。

一、申立人は、韓国慶尚北道聞慶郡虎渓面牛老里一〇三番地に本籍を有し、一九三八年(昭和一三年)四月二〇日に、いずれも韓国に本籍地を有する父金在云、母金永説との間に本籍地において出生した外国人であるが、昭和三二年五月二八日午後一〇時頃有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく本邦での勉学を目的として京都市に在住していた父親を頼つて慶尚北道九竜浦港附近海岸より小型木造漁船に便乗出発し同年六月一日午後一〇時頃本邦広島港附近海岸に単身上陸し不法に入国したものである(疎乙第一号証)。

二、申立人は昭和一九年実母と、当時京都市に居住していた父金在云(中島祥晴)と同居するために来日したが、昭和二三年六月父を残して母とともに本国の前記本籍地に帰国居住し、同地の聞慶中学校を卒業さらに釜山市海東高校を昭和三二年三月に卒業した。

しかるに申立人はさらに日本の大学での勉学を希望して、同年六月一日本邦に前記不法入国におよび同年八月から同三三年二月まで京都市にある近畿予備校に入学さらに同年三月東京都の早稲田学院予備校に入学し、翌三四年四月早稲田大学第一政経学部政治学科に入学し同大学での勉学中たまたま申立人が昭和三五年七月法務大臣宛に再入国許可申請書を提出したことに端を発して前記不法入国の事実が発覚し、東京入国管理事務所入国審査官は同年八月三〇日これが出入国管理令第二四条第一号に該当する旨の認定をなしたところ(疎乙第二号証)、申立人はこれに対して法務大臣宛異議申立書を提出し不服理由として「早稲田大学に在学中で日本に来た目的は勉学のため」であり、同大学を卒業して帰国するつもりである旨申述べ(疎乙第五号証の一、同の二)大学修了までの本邦在留を強く希望し、修了後はすみやかに帰国する旨誓約した(疎乙第一号証一五項、同第三号証)ので、法務大臣においては申立人の右大学における学業課程修了を配慮して同三六年四月四日特別在留許可(期間一年間)の裁決をなし、以後継続して該期間の更新許可を続けたので同人は同三八年二月に前記学部を卒業し、引続き同大学大学院に入学したのであるが二年間の休学はあつたが同四四年三月同大学大学院修士課程を卒業しその在留目的を達した。

なお、申立人はこの間前後四回にわたり帰国し、第二回目の帰国の際(出国昭和三九年一〇月二五日、入国同年一二月二三日)本国で鄭蘭順(一九四〇年四月二五日生)と結婚し、翌一九六五年七月一八日長男南奎、一九六七年一〇月五日次男南賢をもうけ同人らは現在京城市において申立人の実母と同居し安定した生活を営んでいるものである(疎乙第四号証、同第六号証第三項、同二三号証第五項)。

三、申立人は昭和四四年右学業修了後、実父金在云(中島祥晴)の居住する札幌市に転居して同父と同居し(同市北二条西三丁目一番地の一八)、同人が昭和三八年五月から代表取締役として経営している株式会社オメガ(パチンコ店)の経営に、平取締役として従事し、かたわら同四四年九月から同じく実父が平取締役をしている更生会社原島運輸の従業員として稼動し今日に至つている(疎乙第七号証、同八号証)。

四、しかして申立人が所期の学業目的を達したのち昭和四四年五月一三日特別在留期間が満了するところ、申立人は更に右学業とは直接関係のない「技術経営知識の修得」のために更新許可申請をなし、出国準備期間として同年一一月九日まで一八〇日の更新許可をうけ(疎乙第九号証。なお同人は右末日までに帰国する旨誓約していた。疎乙第一〇号証)更に右期間が満了するに当たり今度は「実父不在による株式会社オメガおよび原島運輸の仕事のため」と新たな目的のための期間更新許可申請をなし、最終の出国準備期間として翌四五年一月八日までの更新許可を受けたものである(疎乙第一一号証)が右期間満了に当つての同目的による更新許可申請は、すでに学業目的は達成され、出国準備に必要な期間も十分に確保されたものであるので不相当として同年一月七日不許可になつた(疎乙第一二号証)にもかかわらず在留期間である同年一月八日ののちは本邦に不法在留することになつた。

五、そこで札幌入国管理事務所入国審査官は同年三月一九日申立人がまだ出国せず本邦に在留していることを確認して、これが出入国管理令第二四条第四号ロ(不法残留)に該当することを認定し(疎乙第一三号証)その旨を申立人に通知したところ同人は即日特別審理官に口頭審理を請求したので特別審査官は口頭審査の結果、入国審査に誤りがないと判定し同二〇日申立人に判定書を交付した(疎乙第一四号証)。

申立人はこれらに対し同日法務大臣宛異議申出書を提出したが法務大臣は同年五月二五日付をもつて右異議申出は理由がない旨の裁決をした。

右裁決通知を受けた同事務所主任審査官は同令第四九条第五項により、同日申立人に対し右裁決結果を知らせるとともに、本件強制退去令書を発付してその執行に入つたが、いずれも帰国準備のための「家事整理」を理由とする申立人本人および身元引受人である義母の都合三回にわたる申請(疎乙第一八号証ないし第二〇号証)により制限住居を申立人の肩書住所他として仮放免を許可してその動静をみまもつていたところ、申立人は本件本訴を提起して全く帰国の意思なく抗争に訴えても在留する旨を鮮明にしたもので、もはや帰国準備のための家事整理を相当として仮放免を認めるべき制度の理由は失われたので出発点に立ちかえり今般同人を収容し退去令書の執行に及んだものである。

第二、本件申立は「本案について理由がないとみえるとき」に該当すること明らかで却下を免れない。

一、本件退去強制処分は申立人の在留期間更新申請が不許可となり、出入国管理令第二四条第四号ロに該当するものとして退去強制処分に付したものであり、本件退去強制処分は一に在留期間更新の不許可処分の適否にかかつているところ更新申請の許否に関する処分は、出入国管理令第二一条第三項に定められているとおり、法務大臣が当該外国人の提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるときに限つて許可するものであり、そしてこの判断は法務大臣の自由裁量に属するいわば恩恵的措置であり在留期間の更新を許可しなかつたからとて違法の問題は生じない筋合いである(期間延長につき大阪地裁昭和三二年一〇月一六日決定・行裁集八巻一〇号一九〇〇頁)。

二、法務大臣の裁決およびこれに基づく本件退去強制令書発付処分に違法はない。

(一) 主任審査官は法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、退去強制令書を発付することを義務づけられており(出入国管理令第四九条第五項)、そこに発付するか否かの裁量権を全く有するものでない。ただ右令書の発付に先行する法務大臣に対する異議の申出において、法務大臣は同令第五〇条により異議の申出が理由がないと認めるときにも、なお、在留を特別に許可する裁量権を与えられているところ、そもそも外国人の入国在留等の許否は、国際慣習法上当該国家の自由裁量により決定し得るものであつて、特別の条約の在しない限り、国家は外国人の入国等を許可する義務を負わないものであり(最高裁昭和三二年六月一九日大法廷判決)、わが国もこれにより、旧登録令、外国人登録法、出入国管理令を設けて外国人の入国等の規制を行つており、右規定に違反した外国人は、(もちろん退去強制事由に該当した者も)右法令上もともと退去を強制され得べきなのであつて、わが国に在留することを求める権利を有しないものである。

また、出入国管理令第三条は、いずれも「外国人は……本邦に入つてはならない」と規定し、外国人の性別、年令、意思能力、主観的意図、客観的事情の如何を問うことなく、外国人が法令による除外事由なしに本邦に入るすべての場合を包括的に禁止している。これは、外国人のすべてについて出入国に関する公正な管理を確保しなければ、国の保安と公共の福祉に重大な影響があるからに外ならない。

したがつて、かかる違反者、該当者に対して法務大臣が特別に在留許可をなし得るとしても、該特別許可は恩恵的なものであつて、法務大臣の自由な裁量に任されているところである。(最高裁昭和三四年一一月一〇日判決・民集一三巻一二号一四九三頁、以来同三五年四月一日判決でも再確認されている。)

(二) 更に百歩を譲つて右裁量権の行使に違法判断の余地を認めるとしても、申出人は出入国管理令第五〇条第一項各号のいずれにも該当せず、特別在留許可を受ける事由がないものである。

(1) 申立人は永住許可を受けているものではない。これは本件申立書によつても明らかである。

(2) 申立人は、かつて本邦(同令第二条第一号)に本籍を有した者でない。申立人は現在まで一貫して韓国に本籍を有している(疎乙第四号証)ものである。

(3) 第三号の特別事情も存しない。

既述のように申立人の実母、妻(二九才)子供(五才・二才)は申立人の本籍地である韓国に居住しているものであり同人が本邦に止まることは、かえつて同人の家庭を中心とした社会生活を円滑ならしめるゆえんではなく、念願とした早稲田大学での勉学も修士課程まで修了しているのでありこの間の研究成果を申立人主張のように公刊すらしている(疎甲第五号証『韓国の憲法』「まえがき」御参照)のであつて来日目的は今や十分に達せられたのであるから一家の主人である申立人としては生活の本拠を妻子の居住する韓国とすべく、かかる妻子との離別状態を継続するほどの在日特別事情は存しない。

そのうえ同人は韓国に所在する「韓国セラミクス工業株式会社」「高麗肥料株式会社」の理事となつている。(公簿上前者は昭和四二年から、後者は同四〇年から、疎乙第一五号証の一、同の二)

申立人は札幌市内のパチンコ店「オメガ」の父の留守中経営一切を担当しているものであると主張しているが、同店開店の昭和三八年から申立人が学業修了後昨年になつて実質的にこれが経営に助力するまでの間は全く申立人なしで営業されていたのであり、同会社には専務取締役として大村漠城が就任して業務遂行に当つており申立人は単なる取締役にすぎず(疎乙第一六号証)同会社の経営上申立人が本邦に在留しなければならないほどの同人の経営歴でもなく他に適当な人材がないわけでもなく、要するにこれを妥当とする特別の事情には全くない。

なお株式会社原島運輸については、申立人は同会社の従業員であつて役員には就任しておらず同会社の経営に参加しているものではない。

このような、本邦、本国における事情に、既述のような在留許可の経緯を綜合してみれば同人を本邦に特に在留させることを相当とする事情があるとは言えず、ましてや右のような状態である申立人を退去させることが、著しく不公平かつ正義に反し、本件処分に違法をきたすというものではない。

(三) 法務大臣の声明(疎乙第一七号証)は、「終戦以前から日本国に在留していた大韓民国国民であつても、終戦後平和条約発効までの期間に一時韓国に帰国したことのあるもの」を対象としているもので申立人のように昭和三二年に不法入国したものは、同声明による特別措置を受けることができないものである。

(四) 申立人の不法入国行為は前記のように出入国の公正な管理を保持するという、国の保安と公共の福祉とに重大な影響をもつ国家ないし公共の利益に関する問題であつてその内包し、影響するところは決して軽視しえないところであり申立人の経歴および家族関係等ならびに在日朝鮮人の特殊な地位を考慮しても、法務大臣が申立人に在留の特別の許可を与えなかつたことには、何等裁量権の行使に著しい不当はなく、濫用、逸脱があるとは到底いえない。また申立人の主張する国際規約等の趣旨も、本件のように法律に基づく違法な処分を禁ずるものではない。

右のように申立人に対する法務大臣の裁決が適法である以上、これに基づき前記法令上当然の義務としてなされた本件強制令書発付処分には何等違法な点はないものである。

三、本件退去強制処分は、確立された国際法規ならびに憲法第九八条第二項に違反するものではない。

(1) 難民の地位に関する条約は一般的に難民の処遇を定めたものではなく第二次世界大戦前の各種条約および協定中で難民とされていた者、IRO憲章で難民とされている者および一九五一年一月一日以前に生じた事件の結果として、民族、宗教、国籍、特定の社会に属すること等の理由で確実な恐怖のため本国を離れている者であつて、本国の保護を受けることが不可能または希望しない者等も対象としているのである。

難民の地位に関する条約の加盟国がその条約上の義務を負担していることは別として、わが国を含む未加盟国が難民を本人の意思に反して、送還してはならないという一般的な国際慣習法上の義務をも含むものではない。即ち、難民保護を一時の努力目標とすることは格別、現在の国際法上はいまだ国家の一般的義務として確立されていないというべきである。

申立人は、前述の如く昭和三二年に本人の自由意思で密入国してきたのであつて、「第二次大戦中」わが国に「強制的に移住され」た者でもなければ、わが国に「滞在を強制された結果当地の住民となつた者」でもない。申立人がいわゆる難民に該当しないことは明らかである。

(2) 国際赤十字の第一九回国際会議における離散家族を再会させる決議はあくまで道義の次元に位置するもので国際的法意識に支えられているものではない。なお、同決議にいう「再会」とは字義どおりであつて同居を認めるというものではないとされている。

第三、回復困難な損害を避けるための緊急の必要性は存しない。

一、申立人は、強制送還されるときは申立人の社会的、家庭的、生活条件ないし生活環境を完全且つ決定的に変更し、その回復を全く不可能ならしめ、これがため、回復困難な損害を生ずること明らかであると主張されるが、右各要件の具体的内容は何ら明らかにされていない。

そもそも退去強制事由に該当するものは、強制送還されることが当然で(出入国管理令第五二条第三項)あつて、在留許可を要求する権利はないのであるから、収容、送還されたからといつて、これを損害とはいえない。

また申立人は、本案訴訟の遂行が極めて困難となるとされるが、本案訴訟の事実関係については、申立人のおおよそ自認するところであつて、右訴訟の主たる争点は、もつぱら法律問題にあるといえるから、既に申立人には、訴訟代理人が選任されている以上、その適切広範な訴訟活動により、右訴訟の維持追行に支障があるとは解されない。

二、更に申立人は、身柄を収容されることによつて、申立人のなしている研究、出版活動が中止され、更には、申立人の父が不在中、経営の一切をまかされている「株式会社オメガ」の資金繰りが困難となり、これがため会社の倒産もまぬがれない状態におちいること明らかであるから収容部分の執行停止の必要性についても主張される。

しかしながら、申立人の特別在留許可は、あくまでも早稲田大学での学業を目的として認めたものであつて、申立人の主張する広い学問の研究、またはそれに基づく出版活動までを含めて来日したものでもなく、またこれを確保するために在留許可を与えたものでもないことは既述のとおりであつて、このことは申立人自身十分理解し、これを当然の前提として在日生活を営んでいたものであり、しかも学業の目的は十分に達せられ、その成果も公刊されていること既に詳述したとおりであつてみれば、この点についての損害は生じようもないといわねばならない。

また申立人は、父の経営する会社の経営一切をまかされているとはいうものの、形式的にも、実質的にも代表取締役である父が経営の一切の責任と実権を有しており、しかも既述のように申立人はわづか昨年からこれに助力しているにすぎず、他に専務取締役をはじめ一応の事務体制が充実されているのであるから申立人の離日により致命的な損失を蒙るとは考えられず、しかも申立人が離日することによる右会社の蒙る不便は、同社自ら解消すべきであつて、これをもつて申立人本人の損害といえるものではない。

三、申立人は、本件執行により家庭的、社会的生活条件、環境が決定的かつ完全に変更され、その回復が不可能となるとされるけれども、同人が前記のとおり学業目的のため来日し、しかもこれが修了後は帰国することを再三、再四強調し誓約してきているところであり、あまつさえ学業半ばの昭和四〇年わざわざ本国に帰つた上で婚姻し、妻子を本国に残してきている経緯に徴すれば、明らかに一応の学業修了後は本国での生活を目途として、かかる行動に出てたことが客観的にも明白であつてみれば、むしろ一日も早く帰国した上で妻子と生活を共にすべき筋合というべく何ら生活上回復困難な損害を蒙るおそれはないものである。考えられるのは実父との離別であるけれども、同人はかねてより前記「韓国セラミツクス工業」および「高麗肥料」各株式会社の経営準備のため、ひんぱんにしかも相当長期にわたつて本国に出向いていて、本国在住の本妻、申立人の妻子らにも会つているのであるから、申立人が帰国しても実父との会見の機会は通常以上に豊かに恵まれている状況なのであるから、これをもつて回復困難な損害といえるものとは到底解されず、また実父の片腕として既述「オメガ」の経営に当つていることに支障を及ぼすとしても、右のようにこれは本人の損害とはいえず、又かかるパチンコ店等の一般経済活動の分野に未だ経験、経歴の浅い申立人に本人でなければなし得ないような一身専属的な役割は通常うかがわず、ある程度代替的なものであるから右企業に対する影響として考えても、回復の困難な損害を与える程度のものとは解されない。

申立人のいわれる損害なるものは、せいぜい以上のような内容のものであつてみれば、前記不法入国、特別在留許可、同期間更新許可等申立人の在日経緯に照らして考えるとき、永年日本に住みなれて安定した社会経済生活を営み、家庭関係も本邦に密着して営むほかなき事案などとは全く質的に異り「回復困難な損害」もまた「これを避けるための緊急の必要性」も何ら存しないもので、かくして、本案はまさしく典型的な強制退去事案というべく、到底これが執行停止は認められるべきものではないと思料する。

第四、結語

以上に述べた理由により本案に理由がないこと明らかであり、本人に回復困難な損害の発生も認められず、本件退去強制処分の執行を全面的に停止することは、国家の外国人管理権を一時的にもせよ麻痺させることになり相当でないと考えるので、本件申立も却下されたく、また収容の執行(護送を含む)は申立人の身体を拘束するに止まり、送還の場合に比し蒙るべき損害は軽度というべきであるから、少くとも最少限度において申立人の収容を確保するため、この部分の執行は停止されるべきでない。すなわち、申立人は、「収容」は送還のための準備行為としての附随処分にすぎないから「送還」と「収容」を区別する合理性にとぼしく、従つて「送還」部分の執行が停止される以上、当然「収容」部分も一体として執行が停止されてしかるべきであると主張するが、仮りに送還部分の執行が停止されたとしても、裁決がなされるまでの間、暫定的に停止されたにとどまり、送還が取り消されたわけではないから、単に送還部分が停止されたという理由で収容部分の執行を継続する理由も必要もないということにはならない。

将来送還の執行の可能性のある以上、収容を継続する必要はないということはできないのである。

しかも、本件処分が全面的にその執行を停止された場合には、申立人は出入国管理令による外国人として管理を受けることなく全く無制限に生活、行動することができることとなり、かような事態を発生せしめることは、執行停止決定により事実上の在留を認めたのと同じ結果を招来することとなる。

すなわち、申立人に対する右退去強制令書に基づく執行としての入国者収容所への収容をも停止するときは、出入国管理令に規定する法定の在留資格を紊る懼があり(東京高裁昭和四三年四月一六日決定)わが国の出入国管理行政の円滑な遂行を阻害し、場合によつては申立人が所在不明となり、本案判決が確定しても執行が不能なおそれも否定し得ないわけである。

したがつて、少くとも、本件退去強制処分のうち、申立人を収容する部分の執行は停止さるべきではない。

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